8月26日〜29日
ドイツ・ハノーファー、北ドイツ放送局(NDR)にて、リートデュオのCDレコーディングを無事終えました。
シューベルトの魔王、白鳥のうたなど珠玉の作品をはじめ、2つの世界大戦期を生き抜いたドイツの作曲家プフィッツナー、同じくドイツ人で現代の作曲家ライマンの「夜曲」を収録。
Classic Clipsより年内にはリリース予定です!(www.classic-clips.de)
26. Aug. – 29. Aug.
Lied-Duo Samuel Hasselhorn & Takako Miyazaki haben ihre CD Aufnahme im Kleinen Sendesaal des NDR in Hannover geschafft! Die CD erscheint im Dezember 2014 beim GWK- Label CC ClassicClips (www.classic-clips.de)
コンサート開催が決まりました。
2014年6月22日(日) 14時開演(13:30開場)
会場:ならまちセンター(奈良)
全席自由:¥1500
皆様のご来場、心よりお待ちしています。
詳細はこちらから確認いただけます。
月刊『ショパン』6月号に、3月17日トッパンホールでのリート・デュオ演奏会評が掲載されました。
シャウムブルガー新聞(ドイツ)に、フォルテピアノ演奏会評が掲載されました。
<日本語訳>
「花のように心が咲く」
~情熱、豊かな表現、ダイナミクス。
宮﨑貴子はピリオド楽器の魅力と可能性を証明した
アウエタールにて。ヴェネチア出身の作曲家、バルダッサーレ・ガルッピの3楽章形式のソナタハ短調は、チャーミングで魅力的だった。エレガンスと技巧、メランコリーとみなぎる生命力がこの曲では同等に存在し、日本人ピアニスト宮﨑貴子の手で紡がれるガルッピの音楽に、カタリンハーゲンの教会に集まった満員の聴衆はうっとりと耳を傾けた。
さらに彼女の演奏は、完全に内的に充実した音楽が脈打っているような印象を抱かせる。その音楽は非常にチャーミングで優美、聴き手を魅了する方法を知っているのだ。そしてそれはある時はメランコリックで、またある時はシンプルで無駄がない。
自明のことだが、音楽は作曲家自身のことをも語る。ある世界的視野を持つ音楽家はその君主らから崇拝され、聴衆から愛された。彼は自身の作品がもつ全ての可能性に対して好奇心旺盛で、ヨーロッパ文化の中で主役を演じた。
まさに今、ガルッピの作品が埃だらけの図書館から引っ張り出され、再び演奏される時が来たのだ。
司会のペーター・アーペルも素晴らしく、完璧な話術で頻繁に冗談を交えながら、鮮やかに観客を導いた。彼は旋律に寄り添ってメランコリックなベールを紡ぎ、それは途方もなく愛らしく、ソナタの歌心は際立たされて、そこに潜んだオペラのアリアも聴こえてくるようだった。
ガルッピ、モーツァルト、C.P.E. バッハ、マリアンナ・マルティネス、そしてムツィオ・クレメンティ。カタリンハーゲンの“若きエリート音楽家たち”シリーズでは初めて披露される曲が沢山あり、それらは我々の心に触れ、心を花のように咲かせた。
音楽はとてつもない宝物(恐らく一生探しても見つけられないかもしれないほどの)に気づかせてくれる。
そして宮﨑貴子はワルターモデルのフォルテピアノで、非の打ち所のない美しいタッチと深い感性をもって観客を魅了した。彼女は長い休符での間の取り方も絶妙で、とりわけ素晴らしく感情移入のできる人だ。常に小さなたゆみと加速をもって音楽を生き生きとさせるのだが、それらは全て、興奮しすぎることなく、オーバーアクションになることもなく、作られた感もないのだ。最小限の動作で、彼女は最大の魔法をかけることに成功している。
小さな教会というのも良かった。大きなホールだと、ワルターモデルのフォルテピアノのニュアンスや響きはすぐに消えてしまうだろう。カタリンハーゲンの小さな教会では、前方の座席が人気だった。これが普通のピアノで弾かれていたら、モーツァルトの解釈も直ちにもっとつるつるとした、単色で時に中庸なものに聞こえるのだろう。しかしフォルテピアノでは、情熱、豊かな表現とダイナミクスとなるのだ。 (フランク・ヴェスターマン)
シャウムブルガー新聞(ドイツ)に演奏会告知記事が掲載されました。
〈日本語訳〉
遅咲きの花
〜カタリーナ教会の“若きエリート音楽家たち”シリーズで宮﨑貴子がバッハ、モーツァルト、ガルッピ、クレメンティとマルティネスを弾く〜
インタビューは1つのありふれた質問で始まった。いつ彼女は自分のピアノの才能を確信したのかということを、編集者は知りたかった。宮﨑貴子は遠くを眺め、考えて、答えた。「いいえ、まだです。」そしてけらけらと笑った。良いジョークではないか?
彼女の経歴はそれとは逆のことを物語っている。
4歳からピアノを始めたが、20歳くらいになってようやく職業としてこの道に打ち込むことを決めた。まさに遅咲きの花だ。
2008年10月彼女はドイツにやって来た。彼女の当時の師匠が、ヨーロッパに行って勉強するようこの若い日本人を導いたのだ。そして考えた末ドイツを選んだ。例えばパリなどと比べると“それを無視するにはあまりにも膨大で偉大なドイツ音楽のレパートリー、そして親切な学費事情”がその理由だ。
ハノーファー音楽大学で2010年、2011年とG.ツィッターバルト教授のもとで次々にピアノと古楽器のディプロムを優秀な成績で取得、その間、そしてその後も様々なコンクールに入賞。
明日4月27日の日曜日、彼女はカタリーン教会の“若きエリート音楽家たち”シリーズに招かれフォルテピアノ(昔の楽器~昔の作曲家たちが意図して書き記したであろう、また当時の聴衆が耳にしたであろう音色を再現できる楽器)を演奏する。
「現在古典派の作品をピアノで弾く人たちは、当時それがどういう音色で聴かれていたのか知っておくべきです。」宮﨑貴子は言う。そうすることで当時の響きを今日の楽器のそれに摺り合わせたり置き換えたりする感覚を養うことができる。
このコンサートの司会を務めるペーター・アーペルはこう言い換える。今日我々がベートーヴェンの5番シンフォニーで聴くホルンやフルートの音色は、作曲家が当時聴いていたものとは明らかに違うのです。フォルテピアノは現代の楽器よりもそれぞれのフレーズをはっきりと聴かせられるという大きなメリットがあります。
今日時々忘れられてしまうが、音楽を聴くにはそこに作曲家の手で生み出された作品が存在する。
ムツィオ・クレメンティ、彼はモーツァルトやハイドンにも匹敵するであろう作曲家だ。この才能ある音楽家は1752年ローマに生まれ、早くから個人レッスンを受けた。9歳でオルガニストとなり、3年後に作曲を始めた。
1781年、ヨーゼフ2世がモーツァルトとクレメンティを対決させた話が有名だ。モーツァルトはクレメンティについて否定的なことを書いているが、後に彼のB-dur ソナタop.24-2のメロディーを、自分のオペラ「魔笛」序曲に使用している。そしてまさにその魔笛のテーマのソナタを、宮﨑は演奏する。
話がバッハに移った時、司会者アーペルとピアニスト宮﨑はさらに盛り上がった。バッハとはあのヨハン・セバスティアン・バッハではなく、彼の二番目の息子のことである。アーペルは博識をもって(彼が法律を学んだということを抜きにしても)バッハに忍び寄る。いや、バッハの息子が1768年ハンブルクに来たとき、彼には既に十分な実力があった。モーツァルトもハイドンも彼を絶賛した。彼の音楽と趣味のいいセンスはバロックから前期古典派への指標となった。アーペルは言う、C.P.E.バッハは当時、バロックと古典の両方をその両肩に背負っていた。従来のことは忘れず、新しいものを発展させたのだ。そして忘れてはならないのが、彼は自分のソナタを自分で出版した、最初のフリーミュージシャンだったということである。C.P.E.バッハがいかに偉大であったかを伝える、ある痛々しい逸話が残っている。ハイドンはロンドンからハンブルクへ帰る折、尊敬するC.P.E.バッハを訪問したいと胸を高鳴らせていた。しかし着いてみると、バッハはその年既に亡くなっていたのだった。C.P.E.バッハからは、ソナタA-dur, wq55-4が演奏される。
ハイドンからからは(文字通り)すぐにマリアンナ・フォン・マルティネスにたどり着くことができる。この女性作曲家と若きハイドンは同じアパートメントに住んでおり、彼女は子供の頃彼から日々無料でピアノのレッスンを受けていた。このレッスンの当初から既にマルティネスは素晴らしく達者に演奏したようである。1761年17歳の時、彼女は初めて作曲家として表へ出る。この強い女性の尋常でない人生を書き留めようという伝記作家は一体どこにいるのだ?「彼女は大変聡明でした。」P.アーペルはこう言う。
この女性作曲家からは、ソナタ2番A-durが演奏される。
さらにヴィバルディの時代の作曲家バルダサーレ・ガルッピのソナタc-mollを聴くことができる。この曲からバロック時代は既に明らかに拭い去られ、魅力と優美さに満ちた間違いなく魅惑的な作品だ。
そしてさらに宮﨑はモーツァルト本人の作品“ねぇお母さん聞いて”の主題による12の変奏曲も演奏する。聴いたことがないって?まぁ期待していてください。きっと驚きますから。
チケットは当日会場で12ユーロ、そしてこのコンサートのもうひとつの魅力は、そうペーター・アーペルは締めくくる。アウエタールの歴史、すなわち荘厳な古教会の建物と、入り口の前にそびえ立つすばらしく巨大な菩提樹です。
月刊『音楽の友』5月号に、3月17日トッパンホールでのリート・デュオ演奏会評が掲載されました。
1. Preis gewonnen beim Internationale Schubert-Wettbewerb Lied Duo 2013 mit Samuel Hasselhorn(Bariton) in Dortmund
ドイツ・ドルトムント市で4年に1度開催される、シューベルト国際リートデュオコンクールに、バリトンのザミュエル・ハッセルホーンと共に優勝いたしました。
2014年秋にはこの副賞としてCDリリースも決定しています。
Herbst 2014 wird Ihre erste CD mit Schubert-Liedern u.a.erhältlich sein.
『メロス ウィーン』“音の交差点”に、受賞にあたって特別インタビューが掲載されました。
2013.11.18 月刊『ショパン』2013年12月号に、受賞の報告が掲載されました。
月刊『ショパン』12月号より
ゲッティンガー紙にフォルテピアノリサイタル記事が掲載されました。
〈日本語訳〉
意外なアクセントの魅力
〜ゲッティンゲン クラヴィーア・サロンに日本人ピアニスト宮﨑貴子を迎えて
音楽史において注目されることが少ない時代は、バロックの終わりからモーツァルト・ベートーヴェン以前にかけてだろう。それらの作曲家を日本人ピアニスト宮﨑貴子はクラヴィーア・サロンでプログラムに取り上げ演奏した。カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ、ヨーゼフ・ハイドン、ムツィオ・クレメンティである。
それらの作品を彼女は1795年モデルのフォルテピアノの複製楽器で演奏した。当時の作品は、音楽がもっと透明で繊細に奏でられていたに違いない、それが体感できた。現在のコンサートピアノは、もっとどっしりとくぐもった音がする。
しかしこの夕べが非常に刺激的に進行したのは、使用楽器のためだけではない。
この奏者はそれぞれのフレーズを面白く形作ることに非常に重きを置いていた。彼女は音楽を語らせ、そこには息づかいの空間が描かれ、意外なアクセントの魅力を存分に楽しみ、同時にテンポも(適切なやり方で)自由にとらえている。
C.P.E.バッハのA-durソナタが説得力ある演奏だったように、これが彼女の演奏を非常に生き生きとさせている。クレメンティのF-durカプリチオには溢れ返らんばかりのウィットがあり、ハイドンのC-durソナタでは深く聴かせた。クレメンティの美しい2つのソナタ~B-durのモーツァルト「魔笛」のテーマのソナタ(しかしこれは魔笛のほうが10年後に出版されたのだ)とg-mollのベートーヴェン風なソナタ~は聴衆に洗練された楽しみをもたらした。こじんまりとした、しかし感激した聴衆からは拍手喝采が送られた。(ミヒャエル・シェーファー)