♪2025年10月10日(金)「小森輝彦&宮﨑貴子リートデュオVol.5 ~商人の鑑 瑞々しさとアイロニー、若き日と円熟期のR.シュトラウス~」の公演プログラム《商人の鑑》作品66について、
成立背景のお話や簡単な解説を公開中です♪
名誉毀損の問題から作曲から30年以上、公の場での演奏がされなかったといういわくつきの歌曲集。
R.シュトラウスのアイロニーと作曲の絶技によって織りなされる刺激的な世界を、ぜひ会場でお楽しみください。
「商人の鑑」(Krämerspiegel) 作品66
「商人の鑑」(Krämerspiegel) 作品66は、1918年に作曲されたR. シュトラウスの歌曲集ですが、この作品の成立背景には、複数の音楽出版社との摩擦、また特定の出版社(Bote & Bock社)との間に起こった契約不履行によるいざこざ、という特異な事情がありました。
19世紀後半、ドイツの著作権法では、印刷・出版・複製に関する著作権は規定されていましたが、音楽作品の上演に関する権利の保護については極めて不十分でした。作曲家が作品を出版社に売る際は、その作品の権利も譲渡すると見なされるのが一般的で、作曲家が報酬を受け取るのは一度きり。作品の上演に伴う興行収入や楽譜販売の収益がどれほどにのぼったとしても、その利益が作曲家本人に還元されることはなかったのです。
そのうえ当時の音楽出版社は、現代の感覚よりもはるかに強い経済的・文化的権力を持った存在でした。
これは、録音技術や複製技術がまだ発達しておらず、音楽の流通手段は楽譜出版に頼るほかなかった歴史の中で築き上げられた構図で、特にオペラや大規模な管弦楽作品においては大量の譜面が必要になるため、実質的には興行の可否決定までをも出版社が握っていると言っても過言ではない状況でした。
音楽出版社は、現代でいうところの、大手マネジメント会社・レコード会社・広告会社的な力を併せ持つような巨大権力だったといえるでしょう。
R.シュトラウスはその状況に対し異議を申し立て、上演の際の利益配分や著作権期間の延長など、作曲家たちの正当な権利を主張し守る活動を先導していました。
対してこれまで甘い汁を吸ってきた出版社側は結束して抵抗し、この2派が睨み合う形となります。
*後にナチス政権下でこの2派の団体が強制統合され、整備され、現在のドイツの音楽著作権協会(=GEMA)となる。
そんな中、R.シュトラウスはBote & Bock社との間で取り決められた12曲の歌曲作品の納品を12年もの間遂行せず、度々督促を受け法廷にまで訴えられる騒ぎとなりました。
歌曲作曲の筆が止まっていたのはオペラ作曲に没頭していたためですが、Bote & Bock社は件の著作権論争において敵対した出版社。もはや絶対におとなしく作品を渡してなどやりたくない!と心に決めたR.シュトラウスは、辛辣な筆致で有名な演劇評論家A.ケルに詩の執筆を依頼し、著名な出版社たちを嘲笑し揶揄する歌曲集「商人の鑑」を作曲、出版社に送りつけました(受け取りは拒否された)。
曲中では社名や人名が頻繁に隠喩され、音楽においても自身や他者の有名作品からの引用が鮮やかに繰り広げられます。
第1曲・第2曲
第1曲・第2曲では一番の当事者Bote & Bock社が貪欲なヤギ(Bock)と使者(Bote)として登場し、棘のある薔薇の花束(Strauss)に阻まれて撤退する。オペラ《薔薇の騎士》からの引用も多い。
第3曲
第3曲には現代でも馴染み深いBreitkopf & Härtel社が、平たい大頭(Breitkopf)のウサギ(当時の社長Hase)としてその気取った話し方を揶揄される。
第4曲
第4曲ではDrei Masken社がおどろおどろしいフーガで描かれ、その創設者のフリートマン氏が登場すると音楽が突然軽快なポルカ風に。フリートマンは流行歌の作曲家としても知られていて、Drei Masken社は軽音楽の出版にも力を入れており芸術音楽の作曲家たちとは敵対していたことに対する皮肉。
第5曲
第5曲ではReinecke兄弟音楽出版社が音楽作品を食い荒らす狡賢いキツネ(Reineckeから連想)として描かれ、
第6曲
第6曲ではKahn社とRobert Lienau社が、それぞれ乗ったら溺れさせられてしまう小舟(Kahn)と散策してはいけないリーナウ島、財布を狙ってくるのっぽのロベルトとして描かれる。
第7曲
第7曲にはSchott社が登場。会社を大きく発展させたルートヴィヒ・シュトレッカー氏を拷問人(Strecker)に喩え、第一次世界大戦末期の当時の世相を反映して英国人(ブリテン人)とスコットランド人(Schott)を「我らの敵」としている。最後は「スコットランド風」のダンス音楽で閉じる。
第8曲
第8曲には特定の批判相手は登場せず、芸術を不当に扱い脅かす商売人たちが抽象的に取り上げられる。長大で美しい前奏は、後に自身のオペラ《カプリッチョ》の中で「月光の音楽」となった。第8曲・第9曲には交響詩《死と浄化》からの引用もみられる。
第10曲
第10曲では出版者たちを搾取者とし、《薔薇の騎士》に登場する無作法なオックス男爵を引き合いに出す。
第11曲
第11曲では交響詩《英雄の生涯》からの引用を駆使し、終盤ではベートーヴェン作品の断片も登場。
第12曲
第12曲は魅惑的なレントラーで始まり、《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》を想起させる詩と音楽によって、一連の悪意に満ちた歌曲集が締めくくられ、それらを浄化し包み込むような、あるいは凌駕するかのような、長大で抒情的な後奏が続く。